ひねくれ社長のたわ言

ひねくれ社長のたわ言

会長 竹内 修

私は信じる「真面目すぎる者、不真面目者の如し」 私は信じる「賢すぎる者、馬鹿者の如し」 私は信じる「素直すぎる者、ひねくれ者の如し」

連載エッセイ <その09> 

諦めから出る力

9.諦めから出る力 
 以前にタワ言でちょっと触れた「諦めから出る力」について、もう少し触れてみたいと思う。 
今世の中では、「問題を先送りした」などとして、銀行の不良債権問題や組織の老化など、多くの困難が発生しているといわれている。 
 しかし、視点を変えれば ”先送り” は、 "決して諦めない姿勢”といえる。 
私たちは、思った通りに事がはかどらないからと言っても、「決して投げ出さず、辛抱強く、粘り強く、最後まで諦めないでガンバル」 のが美徳であり、成功の秘訣であるとずっと教えられてきたではないか。 
そして、「失敗は諦めたときに確定するのだから、諦めなければ失敗はない」と教えた多くの先達がいたではないか。 
このようなヒネクレた見方をすれば、まさに”先送り”は「美徳」であり、「正義」であったのだ。 
 ただ、正義といわれるものはただ一つではない。 
 もう一つの正義として、「社会ルール」がある。”先送り”問題は「ルールを遵守する正義」と 「決して諦めてはならないという正義」のぶつかりあいであり、二つの正義を天秤に掛ける問題であったのだ。 
そして今、先送りの責任を問われている組織のトップであった人たちは、この天秤を 
   “ネバー・ギブアップ” 
に賭けた人達だったのだ。

少し前は山一証券の「飛ばし」、最近はデリバティブにスワップをかましたクレイディ・スイス証券事件も損失を先送りにし、 じっと耐え、時を待っていたが、弓折れ矢尽きたいじらしい姿の側面を持っている。 
もっともキックバックまでもらっていたとなると、モラールもまた地に落ちてしまっているが。 
しかし、サッサと諦めて処理してしまえば、ネバーギブアップ精神に反する者として、多くの非難を甘受しなければならなかっただろう。 
 まさに今、先送りを非難し責任を声高に追求している人々は、たまたま先送り決定に参加しなかった、 あるいは参加できなかった幸運な人たちに過ぎないという見方もできる。 
 バブル期のマスコミは、「財テクをしない経営者は無能である」と言ったばかりでなく、財テクをしている主婦を「立派な主婦」と持ち上げていたではないか。 
「世間」とはツクヅク、忘れやすく無責任なものだと思う。 
だから、今非難を一身に受けている人達も、決して心から悪いことをしたとは思っていないであろう。 ただ、「まずかった」、「運が悪かった」、「巡り合わせが悪かった」程度であろう。丁度子供の頃、「自分は決して悪くない」と思っているのに、 無理矢理謝らされ、謝らなければ更なる懲罰が加えられるのが恐ろしく、「大人は間違っている」と心 で叫びながら、「形だけ謝ってやり過ごしてやろう」と思ったことが良くあったが、非難を浴びている人達の心境もこんなものではないだろうか。 
ただ、心から反省している姿を演じることができなければ、更なるリンチが待ち受けているので、その芸を磨かなければならない。まさに人生を演じるのだ。 
私のヒネクレノ原点はこんなところに育ったのかも知れない。 
まさに人生の最初の不幸は世間の渡り方を学ぶ前に世間に投げ出され、非難とリンチを浴びながら世間を学ぶというOJTを受けねばならぬ事だろう。 
 少し話がずれつつあるようです。 
では、「ネバー・ギブ アップ」と「早々と諦めること」のどちらが良いかの議論をしたくなる。 
   正解はその中間にあると考えたいが、答えはそれ程単純ではなく、どちらも正解であり、どちらも不正解であると思っている。 
そんな無責任な答えは答えではないとの反論もあろうが、やはり私は「どちらも正解であり、不正解でもある」をとる。 
 これは、全く相反する概念、「波動性と粒子性が一つの物質に付随している」と考える量子力学の考え方と似ているつもりである。 
ただ、多くのサクセスストーリーは「ネバー・ギブアップ」を主題としており、ネバーギブアップは成功の瞬間がかなりはっきりしているので、 忘れやすい無責任な世間ではうけやすいのだ。 
 一方、「早々の諦め」は、その瞬間は少なくとも「失敗」と評価されるし、「諦めたことが成功だった」との評価は、諦めたずっと後の歴史をたどって気が付くものだから、 忘れやすく、無責任な世間ではうけないのだ。こんな無責任な世間の評判を、自分の行動基準にしていれば、我々の行動も自動的に、また無責任になってしまう。 
 タワ言(8)でも書いたが、成功、失敗の判定は時間を考慮しなければ無意味なのだ。 
これを書きながら、さて私はこの問題にどのように対処していたのだろうかと考えてみた。 
 私はどちらかというとすぐ諦める(先送りしないとも言う)方だと思う。 
ただすぐ諦め、逃げるが、状況が変わればまた懲りもせず手を出してしまうゲリラ型だと思う。ただこれが正解だとは思っていない。 
単に私の性格なのだ。飽きやすいが執念深いともいえる矛盾に満ちた性格ですなあ。 
 我が社もバブル崩壊では少なからず痛手を負った。 
私はたまたま、かなり早い時期に損失の先送りをせず、諦めて損失処理に入った。そのため世間はまだ不況になっていない時期だったにも係わらず、 創業以来はじめての赤字決算を計上し、創業の思い入れのある土地も売却し、金融商品の解約ペナルティを支払った。 
残業規制、ボーナスカットも実施し従業員にも辛い想いをさせた。 
今思い返すと、あの時諦めず、損失の先送りをしていたら、今気楽にワープロを打っていないだろう。土地についても「うまく売り抜けた」と変な評価までもらっている。 
   “諦めろ、諦めは心を澄まし、夜の眠りは快いものとなる” 
快い眠りは未来に繋がる知恵と力を宿らせる。 
マネージメントの極意は、淀みのない「澄んだ心」と、「澄んだ頭」を維持できる環境作りに心を注ぐことかもしれない。これには諦めは是非必要な技術である。 
 そこでここでは、世間ではあまり人気のない「諦めから出る力」に焦点を絞ってみる。 
諦めねばならない第一は“過去” である。 
度々書いたように、過去と未来は厳然と峻別されている。 
「過去」は、我々がどのように努力しようと、我々の力は絶対に及ばない。 
たとえ明日の天気を変えることができる様な力を持ったとしても、過去のささいな事実さえ変えることは出来ない。 ただ我々に出来ることは、過去の事実ではなく、過去の事実の解釈を変えることだけである。 
 諦めの第二は「現実」である。 
解釈、理由はともあれ事実、あるいは現象を「事実は事実」「現象は現象」としてそのまま受け入れることが科学の原点である。 
 デカルトが言ったように、科学の精神は「先入観的偏見を捨て、事物現象そのものを見る」である。 
 科学の“基本の基本”は、原因を見つけだしたり、理論をつける事ではない。 
原因や理論が付くことは、科学を志す者の希望、欲望でしかない。 
この欲望や希望を第一に置く者は、科学的に見えて実は科学の根底さえ持っていない者だ。 
 かって、アインシュタインが死ぬ前に、一生の不覚だったと嘆いた「宇宙項」の事を思い浮かべる。 「宇宙項」とは、当初アインシュタインが「相対論」を作っていく過程で、この理論を宇宙に適用すると宇宙は膨張し続けるか、収縮し続けなければならない事になってしまう。 しかしその当時の宇宙観測では宇宙は、膨張も収縮もしていないと信じられていたので、彼の美意識に反するにもかかわらず、やむにやまれず、 イヤイヤ「宇宙項」といわれているものを付け加え、当時信じられていた事実に合わせて方程式を発表してしまった。 しかし、後に宇宙は膨張しつつあるらしいことがわかり、宇宙項は余分なものであったことが分かってきた。 
 アインシュタインは自らに “美意識” や “在りたいこと” を、泣く泣く捨てて、事実に合わそうとしてしまった無念さが、初めに書いた「一生の不覚」と言わせたのだろう。 
 しかし又、私は彼の科学者としての偉大さと辛さを感じている。 
希望や欲望が満たされないからと言って、事実や現象をねじ曲げてはならない。 
事実を事実として受けとめると言えばカッコいいが、所詮は受け入れると言うことは、単に諦めに過ぎない。 
 私はしばしば、「しようがない」を連発し、「無責任、無気力」などと激しい謗りを受けているが、それもやはりしようがないとしか言いようが無い。 
「しょうがない」がダメなら、「しようがある方策を教えて欲しい」とお願いしても、所詮は私にとって、能力・気力を含めて考えれば、実現できない方法の教授が圧倒的だ。 

 つくずく思う。世間は私を、気力と実行力においては抜群で、正義と知力が欠けているだけの人物と思っているようだ。 だから世間は私に、私に出来ないことを、“丁寧に”教えてくれるのだろう。 
イヤ~、本当は「分かっちゃいるけど止められない」ですよ。 
能力ある時は気力無し、気力ある時は能力無しと感じている次第です。 
 ちょっと横道に逸れるが、一つの実現できるか否かをチェックする方法は「~のような」が付いていれば、ほぼ実現できない方法であると考えている。 従って、特許申請時の文章においても、「~のような」がついていれば実現できないアイディアとして自動的にバツになってしまう。即ち、「水に潜れるようにした自動車」など。 
 宗教が計り知れぬ力を持っていることは論を待たないが、宗教もまた多くの部分を“諦めからの力” に依存していると思う。 
過去を「神の意志」、「前世の報い」、「神の恩寵」、「試練」などと解釈することにより、「なぜに私だけが……」とか「あの時こうしていたら」等の、 
         “所詮せんないこと” 
をふっきり、いたずらに “過去” に拘泥せず、人間の力を 
         “未だ確定していない未来を切り開くため” 
に集中させるのが、宗教の力だと思う。 
 ユダヤの歴史では、バビロニア捕囚以後に書かれた旧約聖書のP文は、困難にあったユダヤ人を雄々しく自分達の運命に立ち向かわせる原動力になった。 
仏教も、何事も「前世の報い」、「因果応報」と解釈し、過去を清算し、まだ多くの可能性の残されている未来に、力を注がせようとするところがある。 
身近な例では、アマチャーゴルファーは各ホール負けが続くと、実際スコアーカードに線を引き、過去と決別の意志を自分自身で確認し、 以後のホールに集中しようとするセレモニーを行っている。 
また、忘年会、新年の行事、朝の挨拶も、過去との決別と未来への期待のセレモニーである。 
         “ 諦めよう ”    “諦めろ!” 
諦めは、「混沌、泥沼、絶望の世界」からも我々に展望を与えてくれる。 
これを「悟り」というのかな。 
諦めは、混沌、危機の時、有効である。 
私は、今の混沌、危機の時代を、“ 諦め技術 ”によって泳ぎ切ろうとしています。 

一覧へ戻る

企業情報

プラズマに関するお問い合わせについて、
2018年5月末まで停止させて頂いております。
ご迷惑おかけ致しますが、
何卒宜しくお願い申し上げます。

プラズマに関するお問い合わせ

プラズマ処理、プラズマ発生装置による表面処理なら株式会社ニッシンまでお問い合わせください。
有償サンプル処理も承っております。"プラズマ"の効果を是非ご利用ください。

TEL 045-932-2061

お電話の際は「ホームページを見た」と一言お伝えください。

プラズマに関するお問い合わせフォーム
マイクロ波機器に関するお問い合わせ

発振器・整合器・導波管、その他マイクロ波関連製品のご相談は株式会社ニッシンまでお問い合わせください。

TEL 045-640-6121

お電話の際は「ホームページを見た」と一言お伝えください。
営業時間外はお問い合わせフォームをご利用ください。

マイクロ波に関するお問い合わせフォーム
マイクロ波加熱ソリューションに関するお問い合わせ

マイクロ波加熱のご相談は株式会社ニッシンまでお問い合わせください。

TEL 0797-76-2791

お電話の際は「ホームページを見た」と一言お伝えください。
営業時間外はお問い合わせフォームをご利用ください。

マイクロ波加熱ソリューションに関するお問い合わせフォーム
その他製品・開発事業へのお問い合わせ(本社)

その他株式会社ニッシンへのお問い合わせは
こちらからお願いします。

TEL 0797-72-0401

お電話の際は「ホームページを見た」と一言お伝えください。
営業時間外はお問い合わせフォームをご利用ください。

その他お問い合わせフォーム
このページの先頭へ
<bgsound src="./assets/media/atom5.mid" loop="infinite">