ひねくれ社長のたわ言

ひねくれ社長のたわ言

会長 竹内 修

私は信じる「真面目すぎる者、不真面目者の如し」 私は信じる「賢すぎる者、馬鹿者の如し」 私は信じる「素直すぎる者、ひねくれ者の如し」

連載エッセイ <その03> 

解はあるのか

約30年くらい前の想い出。 
 当時私は大学院で物理を学んでいた。 
数式をさわるということで、数学と物理は密接な関係があり、数学専攻の友人と同じ研究室で勉強していた。 
ある時、微分方程式はできたが、それを解くことが出来なかった。 
私「この方程式解いてよ」。 
しばらくあって、 
友人「竹内君。これは解があるよ」。 
私「当たり前よ。解けないだけだ」。 
友人「僕に興味があるのは、解の存在だ」。 
そのとき私は、同じように方程式をさわりながら其の目的はちがうのだと痛感したのである。 
それから、彼は数学の教授となった。が、努力にも才能にも恵まれない私は、実社会で働くことになったのである。 
しかし私は今も、社会にあって問題に直面したとき“解があるかどうか”を頭の片隅においている。 
小学生の算数の問題。 
「3でも5でも7でも割り切れる100以下の正整数は何か」。 
答は「なし」である。 
さてここで、7を除いて、3でも5でも割り切れる100以下の正整数とすると、答は15,30,45……となる。 
この考え方を社会に応用すると、「お金も欲しい、地位も欲しい、名誉も欲しい」となる。とすれば、これらすべてを満たすことは、私には不可能である。 
ところが、そのうちの一つを捨てれば、全てを失うという最悪の事態は避けられるかも知れない。 
それでも実現可能な計画が見つけられなければ、更にもう一つを捨ててみよう。全てを失うよりはずっとましだからである。多くの人は全てを得ようとして、結局、何も出来ずに、何もかも失ってしまう。 私はそういう場面を、かなり見ている。私から見ると、答のない問題に多くの時間を無駄に費やし、そのために、答のある問題に必要な時間的な余裕をなくしてしまう。 
では、なぜそのようになるのだろうか。 
これはともすると、小学校以来の試験の影響だろうか。試験の問題は必ず答がある。 
だから必ず、能力さえあれば解があると思い込んでしまうのである。すなわち、問題があれば答もあるものと信じ込んでしまうのである。 
世の中の多くの問題は、「問題は判るが解く方法がない」、「解もない」というのが大半である。 
また複雑な問題を解くには問題を単純化することによって解きやすくしたり、答を見つける方法もある。が、問題を単純化したために現実から遊離し、結局不可能にしてしまうことも多い。 
実現不可能な前提をおいて得られる解を私は愚痴という。 
これが著しく社会の能率を低下させていると思う。 
また、「もし私が30年若かったらこんな結婚しなかっただろう」という仮定に立った答は、解きようもない。お金があったら(ないのに)、もっときれいだったら(でないのに)、 経済状態が良かったら(不況のどん底なのに)云々というわけである。全く、答えなど出てきようがないし、解決策などありようもないのである。 
だが、なかでも、いちばん有効かつ顕著な効用をもたらしてくれる切り捨てモノは何か。その第一は“見栄”を捨てること。 
そして“人気”を捨てることである。少なくとも“ひねくれ社長”としての捨てモノの第一のキー・ポイントは、それである。 
社長業というのは芸人ではない。人気商売でもない。人気だけを得ようとするなら問題は比較的簡単である。良き世話役であれば人気は出る。 だが、良き世話役は良きリーダーの充分条件ではない。リーダーシップと人気は相矛盾することも多い。 
時により、リーダーは組織全体の発展のために、また長期的展望の故にメンバーに不平等や辛い思いを強制することもある。その詳しい話は、部分と全体(風呂敷論)の項で述べたい。 
私も年を経て、さまざまな人にアドバイスを求められることが往々ある。そのとき私がいつも尋ねることが、 
「あなたは何を捨てるのか」 
と相談者に聞く。 
何も捨てずに問題を解こうとすることは不要な労力のみを使い、何の解決もできないのである。 
能力があれば問題を単純化していくことは少なくて済む。自分の力量(情熱・思い入れなどを含んでいる)、自分の限界(自分の力では問題の単純化をどこまですすめれば解を求めることが出来るのか) を把握するれば、おのずと自分の無能さを知ることになる。すなわち、人生は自分の理想からはるかに遠ざかっていくという悲しみとともにある。 

昨年から、私は会社の運営指針として、「利益なき繁忙」を掲げた。これも、会社を存続させていくための解である。 
私が極めて有能な社長であれば、従業員に繁忙感も与えずに、快適に利益を確保し、運営していくことが出来るであろう。 
しかし、私の能力では不可能である。 
したがって、現在の経済状況の中で、私の能力をも考慮すれば、やれる選択肢は2つである。 
その一つは“仕事なき倒産”であり、もうひとつは、“利益なき繁忙”である。この二つとも私の力に見合った選択であろう。 多くの経営者は、どんなときにも従業員に人気を得ながら、立派な社長と言われ、リストラもせず、給料カットもせず、なおかつ、利益を上げるという困難な問題を解こうとしている。 これは、欲が深すぎるといえよう。私は今まで欲が深い故に解けない問題を解こうと悪戦苦闘している多くの人を見てきた。 これは、不可能な問題を解こうとしているようにも思える。出来ることやらずに、不可能なことをやろうとしているのだと思う。これはほど馬鹿げたことはない。 解ける問題か、解けない問題かの区別が数学のように出来れば社会は遙かに能率的なものになるにちがいない。 
先記したことだが、これはやりたいこととやれることの区別と密接に関係している。 
「やりたいこと」の多くは、実は「出来ないこと」なのである。 
そこでわれわれは、問題が解けるか解けないかをまず第一に考えねばならない。が、解ける問題も解けないとして解こうしないのも、無能の謗りを受けるにちがいない。 
では、解ける問題と解けない問題をどのように識別判定するのか。数学では、比較的その手法が確立されているのだが、現実社会ではそんな明確な手法はない。 誤解をおそれずあえて記させてもらおう。ただ一つはあるのは“鼻”である。そのためには、日頃から臭覚を鍛えておかねばならない。 
以前、教育現場にある人達と話す機会が多かったし、事実非常勤だが大学の講師も務めさせてもらっていたこともある。 
そこで得られた教訓の一つを書いておきたい。 
学生たちに出される試験問題の多くは、全て答えの存在する“解ける問題”であった。 
そうした解ける問題を小学校以来20年近く出され、マルバツだけで評価され続けると“問題があれば答えはあるはず”と思い込んでしまう。そこにもし、解けない問題を混入しておくとしよう。 鼻の利かない学生は、解けない問題にチャレンジし、そのためにせっかくの時間を浪費してしてしまう。 
しかも、解ける問題までも手つかずにし、落第してしまうのである。要するに、解ける問題と解けない問題を識別する臭覚“鼻”の訓練や教育が出来てなかったのであろう。 
私は、しみじみ思う。人の世はなんと多くの解けない問題に満ちていることか。 

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