二年あまり「たわごと」を休憩してしまいました。
やっと書いてみたい衝動が興ってきました。
休憩していた2年の間、多くの方々からたくさんのお叱りや激励を頂いていました。 それは有り難く、嬉しくなって書き始めるのですが、思考はあちこちに飛び、 断片的な文章にしかならず、嫌気がさしてそのままになる繰り返しでした。
当社の社員からの脅迫に近い要望も、なんとか社長の権力でやり過ごし、 怠慢を決め込んでいました。
その間、ずっと申し訳なく思っていたのですが、書き上げる衝動が維持せず、 失速を繰り返していました。(ショートメッセージばかりがたくさん溜まってしまった。)
私は心理分析によると、理屈は多いのだが、極めて感覚的な人間であるらしい。 だから、なかなかまとめられないようだ。
ここからは、言い訳ではなく「たわごと」本番の始まりです。
「たわごと」を書いている瞬間の私は、いつも、“怒り”をエネルギーにして書いていたのだ という事を発見した。というのも、冷静に世間を観測している私を装いながら、 心の深層では怒りが渦巻いていたのです。
世間では“真顔”で言われていることに対し、「そんなはずはない、ウソだろう!」と 叫びたい“怒り”の衝動が、「たわごと」を一気に書かせていたのです。
人間を動かすものは正義でも理屈でもない、ただ人を動かすものは、“怒り”“恐怖” そして“快楽”。また、“美意識”や“優越感”、“劣等感”などのコンプレックスの衝動だ。
わたしも還暦を過ぎ、怒りの衝動も弱まってきたのも一つの原因だろう。 それに、ひねくれた私を受け入れてもらえる、一部の世界としか積極的に接触しなくなってきたことも 影響し、“心安らか”になり、怒りがなくなってきたのだと思う。
また、私が第一に接触しなければならない世間である会社は、順調に推移しているし、 何より住みやすくなったと感じています。
心安らかな毎日を過ごせ、社員には心から感謝している。そして帰り際、「お疲れ様」と 声を掛けてもらうと、思わず「ありがとう!」と応えてしまう私がいる。
だが人間とは勝手なもので、居心地の良い社会に身を置くと退屈になってくる。
今回のテーマ「夢」も退屈のあまりチョット別の社会を覗いたときに感じた怒りを、 エネルギーとしています。
最近、何かにつけ「夢を持たなければ」、「夢を持って仕事をしよう」、 「夢がなさすぎる」など、“夢”は必須条件になっている感がある。
ここでまた、ひねくれ者の癖で、「夢ってなに?」と考えてしまう。
「夢の定義をしよう」なんて、夢みたいな話で、掴み所がないのが「夢」だとも思うが、 一方で他人を幻惑し、何もないのに、如何にも立派に見せるために、 “夢”という言葉が使われているようにも見える。
「夢しかないのかも」と思うこともある。 (アイディアもなく、計画も能力もなく、 おまけに運もない)。
“夢”と“ホラ”との区別はあるのだろうか?
厳密な区別はないと思う。
私はこの区別を、今あるいは明日、実行することがあるか否かで決めている。
“夢”とは、未来から現在(今日、明日)の行動を決定できるものとしているのです。
例えば、「ノーベル賞を貰おう」という夢を持ったとします。
そのために今日、「数学の本を買いに、本屋に行こう」という行動が伴うのが“夢”であり、 「何かの幸運か、間違え、ノーベル賞を取得できないものか」と妄想を描き、 行動を起こさないのを「ホラ」と定義しています。
「彼には夢がないないから ……」などと、他人の非難もよく耳にするが、 非難されている当人に、「あなたの夢は?」と聞くと、夢に到達するためのプランも作戦もなく、 従って現在、実行するあてもない・・・それは単なる優越感に浸った妄想にすぎないことがある。
ただ、世間で非難を浴びる“夢”に、博打で大当たりする夢がある。
大当たりを目指して競馬場やパチンコ屋に足繁く通うのであり、 実際の行動を伴っているので 私の定義からすると確かに夢である。
私は博打打ちの心理はよく理解できる。
かつて、ラジコン飛行機に凝っていた頃、最初は全くの素人ゆえに、 離陸もしないしないうちに墜落し(正確には滑走中に転覆するほどの技量未熟)、 毎週1週間かけて修理するという日々が一年間、続いた。
そんなある朝、飛行機を持って出ようとしたとき、フト「今日は飛ぶかな・・・?」と 自問自答しながら「今日もキッとダメだ、99%ダメ」と私は迷わず答えていた。
私の理性は、「だから無駄なことはするな」と叫んでいたが、私の衝動は、爆音を轟かせ、 大空を舞う飛行機しか見ていなかった。
日頃は「確率だ」、「期待値だ」と偉そうなことを言いながら、私はどうにも止まらない自分を知った。 きっと、博打打ちもこんな心境なのだろうと、それ以後、「私も博打打ちと同じ仲間なのだ」と、 競馬、パチンコ狂いに、同じものを見、親しみを感じる。ただ、腹立たしいのは、 覚悟なく博打を打つ人達だ。
(参照・たわごと~「覚悟」)
ホラが夢に変わる瞬間もある。
当社の営業に「5年後のあなたのセクションの夢は?」と尋ねたことがあった。 彼は壮大な「ホラ」を語ってくれた。
「そのために、今日あなたがする事は?」と尋ねたところ、 「それが見つからないのです」との答えだった。
更に問いつめると(私は理詰めで相手を困らせるのが大得意なイヤなやつ)、 「今日、3社のユーザーを訪問する予定でしたが、もう1社追加します」といってくれた。
この瞬間、「ホラ」が「夢」に変わったのだ。
嬉しかった!
夢の実現のために今日実行できることは、僅かしかない。
「千里の道も一歩から」である。
(ホラは大言壮語するが、今日することが何も思いつかない)
もっとも、私の人生は「一歩」ばかりを沢山ため込んでしまった感アリ。
私も過去に数多くの夢を見た。
数学者、物理学者、文学者、飛行機のエンジニア、エンジンの専門家、経済学者、革命家、 冒険家、 F-1レーサー、スポーツ選手、果てはスパイまで数限りない。
これらの夢は、どれも三日坊主(半年ぐらい続くこともあるが)とはいえ、その3日間は情熱を 傾け行動していた。おかげでその間に、雑多な多くの「芸」を“モノ”にできた。
今、私が適当に人生を渡っていけるのは、この雑多な「芸」のおかげだと思う。
私は、若い日の“夢の残骸”で生きているのだ。
三日坊主の残骸とも言える。
しかし、人生も後半に入り今、 あちこちで食い散らした多くの「一歩」の始末をしているような気もする。
そして今の私の夢はものすごく、ささやかなものだ。
死ぬまで毎日を面白く、胸ときめかせて生きていきたいだけ。
ただ、毎日、胸ときめかせて生きるためには、様々な苦悩する現実がある。
変な話だ。やっぱり私は矛盾に満ちている。
ここで、少し長くなりますが、芥川龍之介の「侏儒の祈り」を引用しておきます。
☆
わたしはこの綵衣サイイを 纏マトい、 この筋斗キントの 戯アザを 献ケンじ、この太平を楽しんでいれば不足のない 侏儒シュジュでございます。 どうかわたしの願をおかなえくださいまし。
どうか一粒の米すらない程、貧乏にして下さいますな。 どうか又熊掌ユウショウに飽き足りる程、 福裕フユウにもして下さいますな。
どうか菜桑サイソウの農婦すら嫌うように して下さいますな。どうか又後宮コウキュウの 麗人レイジンさえ愛するようにもして下さいますな。
どうか菽麦シュクバクすら弁ぜぬ程、 愚昧グマイにして下さいますな。 どうか又雲気ウンキさえ察する程、聡明ソウメイにもして下さいますな。
とりわけどうか勇ましい英雄にして下さいますな。わたしは現に時とすると、 攀ヨじ難い峰ミネの頂を 窮キワめ, 越え難い海の浪ナミを渡り……いわば 不可能を可能にする夢を見ることがございます。 そういう夢を見ているとき程、空恐ろしいことはございません。
わたしは竜と闘うように、この夢と闘うのに苦しんでいます。 どうか英雄とならぬように ……英雄の志を起こさぬように力のないわたしをお守り下さいまし。
わたしはこの春酒に酔い、この金鏤キンルの歌を 誦ショウし、 この好日コウジツを喜んでいれば不足のない 侏儒シュジュでございます。
☆
流石にうまく表現するものだ。全く同じ悩みが私にもある。夢から逃げる私がいる。
さて、夢を実現するにあたっては、まず計画を作らなければならない。
計画することはやさしい。ただ、実現しないだけだ。私は計画の前に予想をたてる。
予想は森羅万象に想を巡らさなければならない。
自分の予想の影響がその予想結果に影響を与えることさえある。
(自分の存在が自分に影響する……物理を習われた方は真空の分極を思い出していただきたい)
予想ができれば計画は易しい。適当に前提を選び、理屈を積み上げればよい。
私の計画作りは、何時も戦略的に考えています。
こう書けばいかにも賢そうに聞こえますが、戦略とは、自分が弱者であることを認識した上で、 何とか希望を実現させる方法を考えることだと思っています。
その上で最も重要なことは、時間を味方に付けることだと思っています。
だから、手順、シーケンスが是非とも必要になる。
時間は賢者にも愚者にも、強者にも弱者にも平等に流れる。
時間は我々のような智慧なき者にとって、賢者と平等に戦える有り難いプラットフォームだ。
ただ、私のような年寄りには残り時間が少なくなる欠点がある。
もし、強者なら時間をかけて「手練手管」等に頼らずとも、やすやすと正面突破が可能だろう。
戦略とは正々堂々の作戦ではなく、手練手管、政治力、社会情勢など使えるものは 何でも使って勝利しようする姑息な作戦だ。
「理想に向かってまっしぐら」――恰好はいいが玉砕の可能性極めて高い。
卑怯者と罵られようとも理想を実現しようと、あえて理想と反対の方向に進むことさえ 厭わない【情念】が欲しい。
これは私の若い頃からの考え方だったようだ。最近、友人の大学教授が、 私の20歳の時に大学新聞に書いていた記事を図書館で発見し、コピーを送ってくれた。 本人はすっかり忘れていたが、理想の取り方について、同じようなことを書いていた。 正攻法だけでなかなか夢を実現できる程賢くない。
孫子の兵法に「正をもって合し、奇をもって勝つ」とも書いてある。
もし強い、夢を手に入れたい【情念】があれば、考えられる限りの「戦略」を立て 実行に移すだろう。
「夢の実現に向けてガンバル」とよく言われるが、私にとってこの言葉は空しく響く。
「本気じゃないよネ」と言いたくなる。
こんな場合の「ガンバル」はどうも、汗を流すことくらいは厭わないが、 夢を実現するために敢えて恥をかいたり、必死で知恵を巡らせ、勉強するイメージは薄いようだ。
そんなにガンバル決意があるのなら、「ガンバッて知恵を出したら」と言うと 「考えるのはどうも………」、「勉強以外でなら………」、「恥をかいてまで………」と なることが多い。
恥もかかず,智慧も出さず、ただひたすら長時間汗を流し続けただけで実現できる夢なんて………。
ガンバル=イヤ菜事、不得意なことを敢えて実行すること。
過去と現在を結んで、その中間点を推測する方法を内捜法という。 過去と未来を推測する方法を外査法という。
外捜法は内捜法に比べて格段に信頼度が落ちると言われている。にもかかわらず、 去年のデーターと今年のデーターから来年を予想しようとする事が正しい方法だと思われている。
しかし、私は出来るだけ未来を今に引き寄せて、今私に出来そうな行動を探し、 行動しようとしています。 未来を今に引き寄せて!
過去から明日を予想するのではなく、未来から明日実現可能な行動を!
未来から明日を決めるのだ。更に有り難いことに、社会科学現象は自然科学現象と異なり、 シンギュラリティー(不連続)に満ちている。
従って、論理的な推論が殆ど役に立たない。
解が不安定なのだ。
有能な経済アナリスト達の、“惨憺たる未来予想”の結末を見よ。
これも愚者にとっては有り難いことだ。未来については知恵者も愚者もあまり違いはない。
ただ私は会社での今の役割、社長になる夢など一度も見たことはなかった。
社員には、申し訳ないことだとは思っているが、事実だ。即ち私の内部では、社長の理想像も, 憧れもないのだ。世間で社長の仕事といわれるものも社員に任せ、気儘に暮らしている。 経営者のテリトリーであっても、社員に踏み込んで貰うのは大歓迎。 多分、経営は私の心理的な縄張りにではないのだろう。だから私には、経営者の迫力がない。
よくしたもので、この私のものぐさを、世間では大幅に責任委譲が出来ていて、 多くの立派な社員が育っている「良い会社」と言って貰ったりすると、 やはり嬉しくてニンマリする。
ただ、社員の仲間うちでの飲み会では、社長の悪口で大いに盛り上がっている。まあいいか、 「うちの社長は立派だな」が話題であればキット酒は旨くないし、 相槌の打ちようがないので 盛り上がりようもないだろう。
もう一つのわたしの不自由は、権力に任せて“小ずるい”事ができない辛さがある。
これも“ものぐさ”の代償だから仕方がない。
でも相互牽制機能がよく利いている「良い会社」だとも思う。
何事も、有利な側面と不利な側面を持っているものだ。
世間は一方的に「良い、悪い」、「有利、不利」を決めすぎる。
(参照・たわごと~何事も時刻を決めなければ………)
私が常に心に留めていることは、いつも二つの側面を認識し、自覚しようとしていることです。 そのぶん、善悪の峻別には些か鈍感だと思う。
最近読んだシューペンターの、資本主義についての解説書によると、 どうも私の特性は「経営者」ではなく「企業者」の特性に近いらしい。
これはかって見た夢、“冒険家”の特性に似ている。
そういえば、いつも「お前は経営者らしくない」、「経営者の風上にもおけない」 と 非難されている。
幸い大きく時代が変わる今の時期、経営者は大変だが冒険家には刺激的だ。 見知らぬ世界を求めて行かなくとも、向こうからやってくるのだ。
良い時代に生を得たものだ。
(参照・たわごと「大きな波がやってくる」~年に1回の大変革)
ただ、もう10年遅く生まれていたら私にとって理想的だったのだが。 この変化の行き着く先を見ることが出来ないのは残念だ。
まあいいか!
私は侏儒だもの。
休憩していた二年間に今後の「たわごと」に影響する事件があった。
私に精神分析を“仕込んで”下さった先生が、亡くなられた。
残念さと悲しさ。私の独学心理学をブラシアップしてもらった先生。
今までの「たわごと」は社会学現象について私の勝手な解釈が多かったと思う。
人文科学、特に人間の深層心理についての勝手な解釈は、先生の顔に泥を塗るような 事になりはしないかと臆病になっていた。
権威ある学説に弓引こうと(私は喰うに困らない立場にあるのだが)、 先生のテリトリーに踏み込むのには抵抗があった。
先生が亡くなられたこの機会に?人文科学の側面をもっと書いてみようと “弱い決心”をしていますが、どうなるかなあ………。
なにしろ私の夢は、侏儒なのですから。