ひねくれ社長のたわ言

ひねくれ社長のたわ言

会長 竹内 修

私は信じる「真面目すぎる者、不真面目者の如し」 私は信じる「賢すぎる者、馬鹿者の如し」 私は信じる「素直すぎる者、ひねくれ者の如し」

連載エッセイ <その05> 

「企業文化」を考える

私が今、誇りに思うことは、10年の歳月を賭けてわが社の企業文化の変革に取り組んだ姿勢である。 
今にして思えば10年前の私は、「登校拒否」ならぬ「登社拒否」の状態であった。 
朝、目が覚めると、 
「今日もまた会社に行かねばならないのか…」 
という気持ちが重く澱んでいた。 
 友人の多くの忠告は、 
「苦労の代償として金儲けがある」 
「それは乗り越えろ」 
「当に世間はそんなものだよ」等々であった。 
しかし、割り切れない気持ちであった。 
 丁度そのとき、我が家の犬が、妻から古い毛布を小屋に敷いてもらっていた。 
しかし、ワン公はそれが気に入らないのか、ああでもないこうでもないと毛布を動かしていた。犬でも与えられた環境をそのまま受け入れるのではなく、 自分がより快適に過ごせるように工夫しているではないか。 
 一方、私は、与えられた環境に不満を述べながらも、何一つとしていない。 
私は不満を並べ立てる前に出来ることをせず、天に向かって文句を言っている。 
 ではどのような環境が、自分にとって快適なのだろうかと、考えてみた。 
環境が快適でないからといって、現在の環境を破壊すれば、何とかなるだろうというアナーキー的な考え方は、つぎに住む家を建てずに、とりあえず今の家を潰すようなものだ。 それでは私は社会的に抹殺されることになるだろう。 
 私が以前に経験した環境で、最も快適であったのは、マスターの2年間であったような気がする。 
「そうだ、わが社を私が若い日々をすごした雰囲気に作り替えよう。」あの頃は、日々が楽しく、朝が待ちどうしかった。 
目標は決まった。 
 しかし、会社の環境を変えるとなると膨大な犠牲を払うことになるにちがいない。 
当時、私の所得くらいは、たとえ会社が無くても、自分の力で、「稼ぎ出せる」という自信を持っていた。「会社は、私の生活を維持するため絶対に必要というわけではない」と決めてしまった。 
ただ会社を整理するにしろ、借入金は返済しておかねばならない。 
それだけであれば会社は3分の1の規模でなんとかなるだろう。 
勇気を持て! 
3分の1になったからといって、失うものは、世間の私に対する評判だけだ! 
何を恐れている! 
「私は立派な男ではないか、一人で充分やっていける。」 
こんな決意を自分の中で反芻した。 
 相談した友人達は、私のこの荒唐無稽な考えに本当に心配し、「止めろ」と言うばかりであった。 
「タワケ者のすること」 
「世間とはそんなものだよ」 
「世間を知らなすぎる」 
等たくさんのアドバイスを受けた。 
けれども、私の心は叫んでいた。 多くの人の意見が、正しいとは、言い切れないではないか。織田信長は、世間から「タワケ若殿」と言われながらも日本を制圧したではないか。 
正しいことは多数決で決まるものではない。 
 ガリレオを見よ。皆が太陽が地球の周りを回っていると言った時代に、地球が太陽の周りを回っていると言ったではないか。 
正しい、正しくないの判断は、多数決にはなじまない! 
一方で、私の思い上がり(独りよがり)の可能性を出来るだけ排除して置かねばならない。これを社会観察と、実験、論理によって判定しよう。 
しかし、当時「権威」も「信頼」も持ち合わせてない ”タワケ2代目”の私にとっては、それは「不可能」にも思えた。 
信頼も権威もない者が、企業の文化を改革する方法はないのか。 
思いあたるものがある。ヒットラーのマイン・カンプ(我が闘争)。 
ヒットラーは政治家をめざしたとき、大衆心理の分析から入った。 
精神分析の先達はその適用を個人にかぎっていたようだが、ヒットラーは精神分析的なものを大衆に適応した画期的な学者といえる。 ”男はひとこと”ではなく、くり返し、くり返し ”同じことを言い続ける” 勇気であるとした。 
 私は、もちろんヒットラーを政治家、思想家として賛美するのではないが、大衆心理学者として、彼の分析能力、認識能力に畏敬の念は今も感じている。 
だれも聞いてくれない寒いドイツの駅で、何カ月も同じことを言い続けるヒットラーの孤独はいかばかりであっただろう。 
しかし、始めて足を止めてくれた一人の民衆が現れてから、数年を経ずして、ドイツ全土をナチズムに染めたではないか。 
 私も孤独に耐え、自分の想いを語り続けよう。 
くじけそうになったとき、ヒットラーの孤独を思い起こし、孤独に耐えよう。 
会社の3分の2を失う覚悟もしよう。 
そして私の理想を明確にし、想いを伝えるコミュニケーシンツールを作ろう。 
ここから企業理念が生まれ、企業理念のベースとなったVita-Dynamismを作った。 
前回書いた応答パターンもそのツールの一部である。そしてひたすら、これを提唱し続けた。 
 現状を変えていくことを考えてから、具体的に最も力を入れたことは1泊2日の社内研修を続けたことであった。 
企業研修では社長は出席したとしても、朝「この1両日の研修を頑張っていただき、その成果をわが社の一段の発展に役立てて頂きたい」というような挨拶だけをして、 研修に参加しないのが一般的な社内研修であろう。 
10数時間にわたり、私が全面的に講師となり、時には涙し、土下座し謝ることもあったが、情熱を込めて私の理想と夢を、社員に語り続けた。 
それでも、初めの2年間は社員の反応は冷たく、偏見の眼差しを感じながら研修を続けていった。 
講義と自由討論を織りまぜ、階層別、職制別に10数人程度に分け、2年間で70回の1泊2日の研修を出来たことは私の誇りとなった。 
 当初は、「先代はこうではなかった…、」等々の反発がずいぶんあった。 
多くの社員が「もうこの会社もこれまでだ」と感じていたようである。 
人はそれぞれに自分の人生観(価値観、倫理感、美意識)、自分の信じる道があるはずだ。自分の人生観に逆らって、自分の大事な一生を台無しにするのは悲しすぎる。 
人は自分の人生を快適に過ごすべきだ。 
自分の信じる道を目指すために、それぞれが袂を、わかつことがあってもそれは人生の中での一時的な痛みにしか過ぎない。 
そう考えると、お互いに信じる道を歩むために、袂を分かつということは極めて爽やかなものの筈だ。 
「自分の信じる道にかけてみよう、そして将来双方が納得した人生であったと思えるようにしよう」。 
 先代の人生観を唯一の正義と感じるなら、おめおめと私に付いてくるな。 
「先代に殉死せよとは言わないが、会社を辞めたらどうだ」。 
それは「長い人生の中では一時的な痛みにしか過ぎない」、「皆さんは”辞める権利”を保有していることを確認してもらいたい」と、訴えた。 
それにより私は社員を失うことになるであろうが、その喪失感は将来新たな連帯感(納得ある人生を歩もうとした仲間)を生むであろう。 
ただ、世間の非難に耐えればよいのだ。 
 研修会では「私への批判はどんどんいただきたい」 
「ただし、各人の好嫌を”正義の仮面”をつけて現れることは許さない」「好嫌は好嫌としてそのまま認めよう」と言い、「辞表提出に3年の猶予を与える」と社員に宣言した。 
こんな覚悟が、現在の私の考え方のベースになっているように思われる。 
9年が過ぎた今、すっかり、会社の雰囲気が変わったと感じている。 
出社拒否の私も、いまや日々、会社に行くことが楽しみとなり、従業員も、息苦しい雰囲気から開放されている様に見える。 
振り返れば、初めの3年間は私にとっては非常に孤独な時であった。 
誰も私の提案など聞こうともしない雰囲気の中で、「世間知らず」「2代目のバカ」などなどの声が私を突き刺していた。 
今もそのような冷たさを、垣間みることもあるが、それを余裕で眺めている私がいる。 
ここで、「覚悟」について少し述べてみたい。 
多くの人が、「覚悟して……」というが、大抵は覚悟などしていないと思う。 
覚悟したからには、最悪のことがおきたとき、「こんな筈ではなかったのに……」、と言ったり、他者に責任を転嫁したり、悪あがきをするものではない。 
淡々と自分の運命を甘受し、自分の選択の責任を負う姿が欲しい。  
 私の”覚悟”とは最悪の事態をありありとイメージし、その時、運命を受け入れようとする自分にたいする約束である。 すなわち、決意である。そうでなければ、たんなる言葉の遊びにしかすぎない。 
 「覚悟」と非常に近い言葉に「信じる」という言葉がある。 
「信じる」とは、「期待すること」ではなく「委ねる決意」である。 
親が子供に「信じているから悪いことをしないで」などと言うが、信じることは自分自身の決意であり、相手に自分の期待や義務を負わせるものではない。 
「信じているから悪いことはしないで」というのであれば、ギブアンドテイク、ないしは ”取り引き” でしかない。 「信じているから」の「から」は人に要求するとき使うものではない。自分の運命を相手の自由意志に委ねることである。「信じていたのに……」ということは、元々信じてないのである。 
「私は社長を、信じているから………」という話を聞くこともある。 
そう言われたときいつも「どうぞ御自由に」、「私はそれによりなんら束縛されることはない」と”覚悟”を持って、答えている。責任あるもの無責任の如し。 
 このように、信じるというのは合理的なものではなく、非合理の世界から生じるものだ。 
 キリスト教では「見ずして信じるのが信仰なり」ともいう。 
見てから信じるのならばそれは合理性の範疇にとどまる。 
また、歎異抄の中で親鸞は「たとえ法然に騙されて、地獄に堕ちることがあっても決して法然を恨みはしない」と言ったことにも表されている。まさに、全てを委ねる姿である。 
 正しいかどうかは不明であるけれども、正しいと思い込もうとする決意である。 
当に「信じるもの、信じざるものの如し」である。この微妙さ、いつも真理は裏返しの微妙さを含んでいるものだ。 
結局、”信じる”とは、やけのやんぱちの行動なり。 
 この話は10数年前のある冬の日に、飛騨工芸国際学園の池田先生の庵(本人が言っている)を訪ね、一晩かけて教えてもらった。 
新しい人間関係は騙されないという期待ではなく、騙されても良いと言うところからから生まれるると思っている。 
 「企業文化を考える」というテーマから少しはずれてしまった。 
 企業文化は企業の土壌であるとも言われる。 
企業は、どのような作物を育てていきたいかを考えて、作物を作っていかねばならない。 
とうもろこしを育てるには、それに適した土壌をつくらねばならない。 
稲作にはそれに適した水田が必要である。水田にとうもろこしの種をまけば枯れる。 
同じように、とうもろこし畑に稲は育つはずもない。 
作りたい作物に適した土壌を作り、種をまけば、後にすることは肥料をやり、草取りさえしっかりしておけば、自動的に収穫できるはずだ。 
(ときどき思わぬ台風で全滅するときもある 
───人の世はなかなか思うようにいかないものだ)。

 新しいビジネスを起こそうとするとき、自社の企業風土を考慮せず、タネ(シーズ)探しにほとんどの労力と時間を費やしてしまっている。 ただ豊かな稔りのみを思って、土壌のことをあまり考えてないように見える。 
水田にとうもろこしを植えるようなことをすると、芽さえ出ないであろう。タネ探し以上に土壌作りの方が重要である。 
 ただタネを探し、植えるのは、短時間でできるが、土壌(文化)を育てるには5年、10年と長い年月が必要である。その退屈に耐えられねば、収穫は出来ないと思う。 
「歴史年表に名を残すには、気の遠くなるような退屈に耐えねばならない」と言った人がいた。 

 アーア、私はちょっとした退屈にしか耐えられない! 
残念なり。 

この話は自分のわがままを、会社のアイデンティティーにしようとしている 
”ひねくれ社長 ”の物語 である。 

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