株式会社ニッシンは75周年を迎えました。

弊社は2022年5月に75周年を迎え、
それを記念して「さあもう一段上がろうか」と題したこの記念サイトをリリースしました。
あらためて75周年について、そして100周年へ向けての想いを
弊社代表竹内と社員の対談形式でお届けします。

Interview: 弊社社員
Date: 2023.03.09

――75周年を迎えた時、どのような思いが込み上げてきましたか?

75周年だっけ?という感じで、特に最初は思い入れはなかったんです。気づいたら75周年。私より社員の方が、なぜか75周年を盛り上げよう!という気持ちが高かったんです。ということで、周りのメンバーに任せたら楽しそうにやってくれて、制服を変えようとか、色んな相談を持ってきてくれました。

今は外部の方によくお声かけ頂き、1年かけて75周年をじわじわ実感しています。最初に改めて確認すべき『次の25年を、どういう面持ちで進んでいくのか』をクリアにした、良いイベントだと思います。

――現場から「こういうのやりたい」と声が上がった時、どのように受け止めてますか?

基本的には「全て、イエス」です(笑)。
少しずれていたら、条件付きの「イエス」になったりはするけどね。基本的にみんな『理念の理解』を、肌感覚として身につけてくれてると思います。「それは違うやろ」っていうことがないから、基本的に「イエス」です。

ニッシン初代社長
竹内正次

ニッシン2代目社長
竹内修

ニッシン現社長
竹内新

――75周年の感謝は、どのような方に向けて思われましたか?

私以外の全員と思っています。感謝の対象は、ビジネスの観点で言うと、お客様ですし、社員、先輩方、社員のご家族、それから地域の方々です。ビジネスだけではなく、何らかの形でニッシンと関わる人達もそうです。

あとは改めて、ニッシン創業者のじぃちゃんに対する感謝、敬意があります。0からやって55年、最初の5年は本当に大変やったと思います。すでにあるものを伸ばすのと、0からは違いますから。2代目は私の父となり、それぞれの代でやってきた事に『感謝や敬意』そういう想いがありますね。

――お爺様やお父様の生きざまに対して、尊敬、敬意とは具体的にどんなことでしょうか?

初代の祖父と私は60歳違い、干支が一緒なんです。私が生まれた時、同じ子年だから、祖父は「ワシの生まれ変わりや!」と言っていたそうです(笑)。そんなエピソードもあり、当時から祖父の『思想や考え』をずっと続けてきました。古き良き、昭和の戦後から高度経済成長の間を、一気に成り上がった人だったんだなぁと言う気がします。良い時代を、良い形で乗り切った人だな。という感じですね。

一方で2代目の私の父は社長を17年続け、50周年を迎えたり、ごろっと変わったこともしました。とんがった時代に、とんがった人が、とんがり続けたなと思いますね。

――創業当時、大変な印象は受けましたか?

大変だったと思いますが、良いことと思ってましたので、大変そうと思ったことはないです。
私の時代は、代を継いでいく事業承継が世襲というんですかね、そんな時代ですから、生まれた瞬間から3代目になる宿命で、嫌と思った事はないですし、家業に近い感じです。生き様、生活、こうなるのが良いことだと思ってきたから、大変そうというより、(3代目を受け入れることが)大前提だった。

――50周年からの25年間、印象深かったエピソードはありますか?

最初の10年はアメリカにいたので知らないんです。
ちなみに初代は、元々大手電機メーカーからの資金を得てサポートする為の会社としてニッシンをつくりました。

一方で、サポートとして受ける仕事だけではなく『自分達でもっと自由な仕事をしよう』と開始したのが2代目。「協力会社からの注文だけを受けるだけでは経営的にもリスクがあるし、もっと自分達がやりたいことを試してみたい。自由に仕事を楽しもう。」これが2代目の想いです。

2代目は「自分達の裁量でやりたい」と言っていました。自律のマインドを社内にも反映するようにしていたし、かなり言われた記憶があります。

――50周年の節目に社名を変更しましたよね。大きな事だと思いますが、2代目はどのような思いがあったんでしょうか?

ニッシン電機製作所という旧社名に対して、「電機が嫌だ。電機とかないもの。」というのが最初です。
嫌だは嫌いじゃなくて、電機に拘っていないというのが、真実です。電機だけではやっていけないし、電機じゃないからやらないとかあり得ない。取った結果、ニッシンだけが残りました。

ニッシン2代目社長竹内修 「電機」に囚われたくない。社名から「電機」を取ってしまおう。
ニッシン現社長竹内新 !!!!!(自由な発想を大事にしようってことだな。うちらしい!)

――100周年に向けてこれからの25年間、希望などお持ちでしょうか?

25年後というのは想像や希望で言えるけど、わからないし嘘になっちゃう。75周年もそうですけど、若い方達がやりたいと思ったことが、やりたいように出来る。それが、出来るだけの時間や予算や環境を用意していけたらいいなと思います。

会社って家族も含めると、何百人が関わるフィールド。人生の中で少なくない時間を費やしてしまうはずなんです。それで、『つまんない』とか『やっていられない』なんて、本当に不幸なことだと思うんで。

会社にいる結果として、『充実している。幸せ。豊かさ。』をそれぞれ自分で感じられる集団だったら良いなと思います。「だからこの社名に変えるんです。こういう制度に変えるんです。この事業を始めるんです。」そういうのを自分達で作っていけると良いかなと。

――こういう文化が廃れないよう維持し、何でも言える。何でも制限なく考えられる。それが根付いていけば良いなと感じますね。

本当にその通りです。
日々心掛けておかないと、言っても響かなかったり、一気に萎むんで。

――最後の質問です。記念サイトを見てくれた方々へ、伝えたい言葉はありますか?

いや〜75周年終わっちゃうのが、寂しいですね。
本当にやりきったなっていう。本当に皆様ありがとうございました。

皆さまに支えられニッシンは75周年を迎えることができました。
心からの感謝を胸にニッシンはまだまだ進化し続けます。
100周年に向けたこれからのニッシンにもどうぞご期待ください!

株式会社ニッシンは75周年を迎えました。

弊社は2022年5月に75周年を迎え、
それを記念して「さあもう一段上がろうか」と
題したこの記念サイトをリリースしました。

あらためて75周年について、
そして100周年へ向けての想いを弊社代表竹内と
社員の対談形式でお届けします。

Interview: 弊社社員
Date: 2023.03.09

――75周年を迎えた時、どのような思いが込み上げてきましたか?

75周年だっけ?という感じで、特に最初は思い入れはなかったんです。気づいたら75周年。私より社員の方が、なぜか75周年を盛り上げよう!という気持ちが高かったんです。ということで、周りのメンバーに任せたら楽しそうにやってくれて、制服を変えようとか、色んな相談を持ってきてくれました。

今は外部の方によくお声かけ頂き、1年かけて75周年をじわじわ実感しています。最初に改めて確認すべき『次の25年を、どういう面持ちで進んでいくのか』をクリアにした、良いイベントだと思います。

――現場から「こういうのやりたい」と声が上がった時、どのように受け止めてますか?

基本的には「全て、イエス」です(笑)。
少しずれていたら、条件付きの「イエス」になったりはするけどね。基本的にみんな『理念の理解』を、肌感覚として身につけてくれてると思います。「それは違うやろ」っていうことがないから、基本的に「イエス」です。

――75周年の感謝は、どのような方に向けて思われましたか?

私以外の全員と思っています。感謝の対象は、ビジネスの観点で言うと、お客様ですし、社員、先輩方、社員のご家族、それから地域の方々です。ビジネスだけではなく、何らかの形でニッシンと関わる人達もそうです。

あとは改めて、ニッシン創業者のじぃちゃんに対する感謝、敬意があります。0からやって55年、最初の5年は本当に大変やったと思います。すでにあるものを伸ばすのと、0からは違いますから。2代目は私の父となり、それぞれの代でやってきた事に『感謝や敬意』そういう想いがありますね。

――お爺様やお父様の生きざまに対して、尊敬、敬意とは具体的にどんなことでしょうか?

初代の祖父と私は60歳違い、干支が一緒なんです。私が生まれた時、同じ子年だから、祖父は「ワシの生まれ変わりや!」と言っていたそうです(笑)。そんなエピソードもあり、当時から祖父の『思想や考え』をずっと続けてきました。古き良き、昭和の戦後から高度経済成長の間を、一気に成り上がった人だったんだなぁと言う気がします。良い時代を、良い形で乗り切った人だな。という感じですね。

一方で2代目の私の父は社長を17年続け、50周年を迎えたり、ごろっと変わったこともしました。とんがった時代に、とんがった人が、とんがり続けたなと思いますね。

――創業当時、大変な印象は受けましたか?

大変だったと思いますが、良いことと思ってましたので、大変そうと思ったことはないです。
私の時代は、代を継いでいく事業承継が世襲というんですかね、そんな時代ですから、生まれた瞬間から3代目になる宿命で、嫌と思った事はないですし、家業に近い感じです。生き様、生活、こうなるのが良いことだと思ってきたから、大変そうというより、(3代目を受け入れることが)大前提だった。

ニッシン初代社長
竹内正次

ニッシン2代目社長
竹内修

ニッシン現社長
竹内新

――50周年からの25年間、印象深かったエピソードはありますか?

最初の10年はアメリカにいたので知らないんです。
ちなみに初代は、元々大手電機メーカーからの資金を得てサポートする為の会社としてニッシンをつくりました。

一方で、サポートとして受ける仕事だけではなく『自分達でもっと自由な仕事をしよう』と開始したのが2代目。「協力会社からの注文だけを受けるだけでは経営的にもリスクがあるし、もっと自分達がやりたいことを試してみたい。自由に仕事を楽しもう。」これが2代目の想いです。

2代目は「自分達の裁量でやりたい」と言っていました。自律のマインドを社内にも反映するようにしていたし、かなり言われた記憶があります。

――50周年の節目に社名を変更しましたよね。大きな事だと思いますが、2代目はどのような思いがあったんでしょうか?

ニッシン電機製作所という旧社名に対して、「電機が嫌だ。電機とかないもの。」というのが最初です。
嫌だは嫌いじゃなくて、電機に拘っていないというのが、真実です。電機だけではやっていけないし、電機じゃないからやらないとかあり得ない。取った結果、ニッシンだけが残りました。

「電機」に囚われたくない。社名から「電機」を取ってしまおう。 ニッシン2代目社長竹内修
!!!!!(自由な発想を大事にしようってことだな。うちらしい!) ニッシン現社長竹内新

――100周年に向けてこれからの25年間、希望などお持ちでしょうか?

25年後というのは想像や希望で言えるけど、わからないし嘘になっちゃう。75周年もそうですけど、若い方達がやりたいと思ったことが、やりたいように出来る。それが、出来るだけの時間や予算や環境を用意していけたらいいなと思います。

会社って家族も含めると、何百人が関わるフィールド。人生の中で少なくない時間を費やしてしまうはずなんです。それで、『つまんない』とか『やっていられない』なんて、本当に不幸なことだと思うんで。

会社にいる結果として、『充実している。幸せ。豊かさ。』をそれぞれ自分で感じられる集団だったら良いなと思います。「だからこの社名に変えるんです。こういう制度に変えるんです。この事業を始めるんです。」そういうのを自分達で作っていけると良いかなと。

――こういう文化が廃れないよう維持し、何でも言える。何でも制限なく考えられる。それが根付いていけば良いなと感じますね。

本当にその通りです。
日々心掛けておかないと、言っても響かなかったり、一気に萎むんで。

――最後の質問です。記念サイトを見てくれた方々へ、伝えたい言葉はありますか?

いや〜75周年終わっちゃうのが、寂しいですね。
本当にやりきったなっていう。本当に皆様ありがとうございました。

皆さまに支えられニッシンは
75周年を迎えることができました。
心からの感謝を胸に
ニッシンはまだまだ進化し続けます。
100周年に向けたこれからのニッシンにも
どうぞご期待ください!

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